一休と絶世の美女・地獄太夫の関係は?
一休と堺のつながりは?
2022年7月23日開催

室町時代、堺は高須の乳守遊郭(江戸時代からは高須遊郭と呼ばれた)の遊女、地獄太夫。
浮世絵にたびたび描かれている絶世の美女ですが、生涯は謎に包まれています。その地獄太夫の師匠と言われているのが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。アニメの影響で、トンチの効いた可愛いお坊さんの印象が強い一休ですが、相当傾(かぶ)いたお坊さんだったようです。
二人はどのような関係だったのでしょうか?


一休がまだ周建(しゅうけん)という小坊主さんだった頃のとんち話を、旭堂一海さんがしてくださいました。
…あ、一休と一海…名前がひと文字違いですね!

幼い一休を思い起こさせる笑顔が可愛い一海さん

地獄太夫と一休を講談で語ってくださったのは、旭堂南海さん。
「聞きしより見て恐ろしき地獄かな(会ってみると実に大した遊女だ)」と讃える一休に、「しにくる人の落ちざらめやも(ここで私に惚れないものはいない)」と返した地獄太夫……美しさ故のもの悲しさ。
南海さんの講談の展開にハラハラしましたが、ハッピーエンドでほっこりしました。


講談の後は、堺の名物学芸員・矢内一磨さんに「一休禅師と堺の関係」を解説していただきました。
一休は、住吉や堺で活躍したそうです。堺の南材木町で潰れかけた扇屋に婿入りし、真っ黒の烏扇を販売して店を立て直したり、堺の町を朱太刀(しゅたち)を携えて闊歩したり。
……そ、そして最後に爆弾発言が!!

「まあ、一休の時代には、高須や乳守といった遊郭はなかったんですよね〜」
え〜〜〜〜! な、なんだと?
「いいじゃないですか。想像をふくらませる、これぞ文化ですから」
うーん、矢内先生、なんかいいこと言いますね〜


さて「幻の乳守をめぐる」そぞろ歩きスタートです。
山乃口商店街を通り抜け、向かったのは宿院頓宮(しゅくいんとんぐう)。
可愛い兎さんたちが、踊っています。
住吉大社のシンボルの兎になぞらえて、堺の彫刻家・岩田千虎氏の指導のもと作られたそうです。
境内の隅の方には飯匙堀(いいがいぼり)があり、その形が“しゃもじ”に似ているところから名付けられたとされています。海幸山幸の神話に登場する潮干珠(しおひるだま)を埋めたとされていて、雨が降っても水が溜まらないと言われています。

のびのびしている「白夜の兎」
飯匙堀

堺の豪商で茶人の今井宗久の長男、今井宗薫が織田有楽斎(おだうらくさい)から譲り受けたという屋敷跡へ。

今は立て看板しかない今井屋敷跡

堺の豪商で茶人の武野紹鴎(たけのじょうおう)は、千利休や今井宗久や津田宗及のお師匠さん。
そう言えば、千利休の屋敷跡もこの近くでした。
みなさん、ご近所さんだったのですね。

こちらも今は案内板しかない武野紹鴎屋敷跡

今はなき乳守ですが、電信柱の表示に「チモリ」とあったり、南曜堂の和菓子「乳守もなか」に名前が残っていたり…。乳守もなかを紹介する陸奥さん、これは買わねばと南海さん。


乳守劇場跡、乳守温泉跡、旅館乳守荘跡といった、跡形もない乳守めぐりの後、女性の守り神・乳守明神が祀られている臨江寺(りんこうじ)へ。臨江寺の境内には芭蕉の句碑、今井宗久累代の墓、武野紹鴎の墓などがあります。

今回チラシに採用した月岡芳年が描いた「地獄太夫」を見て、堺の町をそぞろ歩き隊に参加してくださった女性もいるほど、地獄太夫は人気があります。

堺は地獄太夫をもっとクローズアップしてもいいと思うのですが。


さてさて、そぞろ歩きの終わりに、甘いものはいかがですか?
陸奥さんの紹介で、乳守もなかを買う人が続出!
売上に貢献しましたね、陸奥さん〜

(取材文:濱田さち 写真:町田安恵)