大坂夏の陣の真相は?
家康の墓が堺に?
家康の死の謎にせまる!
2022年7月9日開催

徳川幕府を築いた家康が、なんと堺で亡くなっていた?
今回はそんなびっくり仰天の歴史ミステリーにスポットを当て、戦国武将を偲びつつ、そぞろ歩きをしました。


講談「家康の死」をしてくださるのは、旭堂南湖さん。
真田幸村の猛攻を受け、たび重なる危機を乗り越えた家康が、堺まで落ち延びてきたくだりを、臨場感たっぷりに語ります。

敵の目をあざむくために白装束を着て亡者籠(もうじゃかご)に乗って逃げようとする家康。そこに通りかかった豊臣氏の家臣、後藤又兵衛!
「怪しい籠だ」と槍をひと突き、確認せぬまま大阪城へと向かってしまった。

迫力満点の南湖さん
後藤又兵衛の渾身の一撃に突かれ…

講談の後は、九度山・真田ミュージアム名誉館長の北川央さんの解説で、家康の死を検証。
「講談師、見てきたような嘘を言い……」と言いますが、北川先生の史料によると、講談は辻褄が合うように変化して今の話になったようです。
神武天皇の藪入り話が、いつの間にか家康が命からがら逃げ込んだ薮の話に変わっていたり。茶臼山の戦の日にちが変わっていたり。

最後の最後に、北川先生の出された写真に、びっくり!!
家康が乗ったとされる籠の屋根に、槍で突いたとおぼしき穴が!!
いや〜、これは動かぬ証拠ではないでしょうか???


さて、イメージがふくらんだところで、そぞろ歩きスタート。
今回は、戦国武将を偲ぶツアー。
まず案内人の陸奥賢さんと向かったのは、顕本寺(けんぽんじ)。天文法華の乱により焼失した本能寺が、一時避難してきた場所でもあります。
織田信長以前、天下人に一番近い武将だった三好元長の墓所が境内にあります。

室町時代後期、三好元長は堺幕府を打ち立てましたが5年余りで敗れ、顕本寺で自害したそうです。
陸奥さんが案内しているのが三好元長の墓所。


さて、戦国武将ではありませんが、戦時中に筆でもって戦った女性といえば、与謝野晶子ですね。
日露戦争の最中に発表された「君死にたまふことなかれ」は、弟を想い詠んだ歌です。その弟や晶子の母校が、堺市立少林寺小学校。
校門には晶子の歌碑があります。


てくてく歩いてゆくと、見えてきました南宗寺。
三好長慶が、父である三好元長を弔うために建立したお寺です。国の名勝枯山水の庭、重要文化財仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休好みの茶室実相庵(じっそうあん)など、見どころたっぷりのお寺です。

大きな敷地の南宗寺
三好長慶の像

同じ境内に、徳川家康の墓があります。昭和42年に、水戸徳川家の初代家老の子孫・三木啓次郎氏によって建立されたそうです。
墓石の裏側には松下幸之助や、当時の堺市長、国務大臣や茨城県知事の名前が刻まれています。

徳川家康の墓

南宗寺は16時閉門で、タイムアップ。
家康の墓参りはできませんでしたが、「徳川家康の墓」と刻まれた墓石は、遠くから見るとよりいっそう謎に包まれているように感じました。

(取材文:濱田さち 写真:町田安恵)

南宗寺甘露門(重要文化財)
(画像:Wikipedia)